魔珠 第3章 忍者ブログ
オリジナルファンタジー小説『魔珠』を連載しています。 前作『ヴィリジアン』も公開しています。
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一度絶叫を発すると、激しい苦痛が少し緩やかになったようで、呻き声が荒い呼吸に変わった。キリトは固唾をのんだ。思わず握った手に力が込められる。
 大した時間は経っていないはずだったが、長い時間に感じられた。シェリスが頼まれた材料、薬の調合に必須の魔法水、薬瓶と小さなグラスを持ってきた。キリトは礼を言って受け取ると、すぐに材料と魔法水を薬瓶に入れる。魔力を加えて調合すると、グラスに少量、できた薬を注いだ。
「飲める?」
 薄目を開けてうなずくスイの口から薬を流し込む。スイはごくりと音を立てて薬を飲み込んだ。数秒ほどすると、呼吸が少し穏やかになった。
「ありがとう、キリト」
 キリトは無言のままうなずいて静かにスイの様子を観察した。二、三分ほどで痛みは治まったようで、疲労は見られたが、いつもどおりの呼吸に戻った。スイが落ち着いたのを確認すると、シェリスは一礼して退室した。
 足音が聞こえなくなると、キリトは静かな口調で訊いた。
「どうしたんだ、その傷」
 すると、疲れ切った顔をしていたスイが急に毅然として言った。
「この傷のことは誰にも話さないし、この先話すこともない」
「そうか」
 何となく分かっていた。
「スイ」
 キリトは穏やかに微笑んだ。
「話したくなったら、いつでも話してくれていいからな」
 キリトはちゃんと分かってくれている。そう確信したスイは、キリトの優しさに甘えることにした。
「うん。ありがとう」
 傷の理由を話してもらえたのは、キリトが外務室に勤めることが決まったときだった。

 スイは冷静な目でキリトの反応を観察していた。
「納得してもらえたようだな」
「あ。ああ……」
 若干動揺しながらキリトは答えた。スイは構わず続けた。
「マーラル王は猜疑心が強いから、王の寝室は万全の警備になっている。特殊な結界が張られていて、他にも侵入者を捕らえるために様々な仕掛けが施されている。そう簡単に場所を変えるわけにはいかないはずだ。それにこの右側」
 スイは見取り図の王の寝室のある二階の右端を指差した。
「つまり東側の階段。これは存在しない」
 仮に王の寝室の位置を変えたとしても、わざわざ階段を新たに作ったりするだろうか。階段を増やしても警備の手間が増えるだけでその必然性が感じられない。
「キリト」
 スイは真っ直ぐキリトを見つめた。キリトはゆっくりと顔を上げる。
「明日の船でマーラルに行きたい」
 罠に飛び込んだメノウを助けに行く。そのために危険を冒す。どんなことをしてでも止めたかったが、スイにとってメノウがどれほど大切な存在かはよく知っている。止めることはできない。交換研修のときの傷を思い出す。マーラルが怖くて仕方がない。スイだって怖いはずだ。それでも凛としたその目をそらさない。
「分かった。気をつけて行ってこいよ」
「ありがとう、キリト」
 スイもキリトの気持ちは分かっていた。だから、自分の気持ちを理解してくれたキリトに感謝の言葉を述べる。これで何回目だろう。キリトには借りだらけだ。

次回更新予定日:2019/02/09

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驚きが少し顔に出たと思った。だが、スイは構わず続けた。
「あと今日は一日部屋で休ませて欲しい。そうだな。風邪で熱が出たことにでもしておいてくれ」
 マーラルで何かあったのだろうとシェリスは察した。だが、そのことはクレアにもシェリスにも話したくないのだろう。
「かしこまりました。またご様子を見にうかがいます」

「シェリスさんのおっしゃるとおり、マーラルで何かあったのは間違いなさそうですね」
 脳の片隅で無数の可能性を追いながら、キリトはシェリスに感想を述べた。ひとしきり話し終えたシェリスはほっとしたように一度ため息をついたが、すぐに背筋を伸ばした。
「キリト様。お願いがあります」
 切り出すと、キリトは先回りした。
「そうですね。私になら話してくれるかもしれませんね。案内してください」
「ありがとうございます」
 シェリスは深々と頭を下げ、扉を開いた。

 案内されたのは、二階の部屋だった。眠っているかもしれないと思ったのだろう。シェリスは何も言わずにそっと扉を開けた。
「キリ……」
 突然のキリトの訪問に驚いたスイの声は呻き声に変わった。昨夜と同じ右胸を押さえて苦痛で顔を歪めている。
「スイ? スイ!」
 キリトは胸までかけられていたブランケットを乱暴にスイの左手ごとはねのけた。
「これは」
 スイの胸部に刃物で切り裂いたような線状の切り傷が青白く光っている。全部で七本。魔力を感じる。無造作に描かれた線は所々で交差している。それがいちばん集中している場所がスイが昨夜から押さえていた右胸だった。
「シェリスさん、青バラの花びらとユキヒイラギの実はありますか?」
「すぐにお持ちします」
 シェリスはてきぱきとしたキリトの指示を聞いて急いで部屋から出ていった。
 扉が閉まった途端、スイの呻き声が絶叫に変わった。我慢していたのが耐えられなくなったのだろう。
「スイ、大丈夫だよ。もうすぐ薬作るから」
 キリトが右手を握りながら言い聞かす。
 詳しい原因は分からないが、呪術の類いであることに間違いはない。取りあえず魔力を弱めて呪術の効果を和らげる薬を調合してみることにする。

次回更新予定日:2019/02/02

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「その後、カップを片づけたのですが、どうしてもスイ様のご様子が気になって」

 二階に上がって右側の廊下に出ると、スイが壁を支えにしながらふらふらと歩いていた。肩を激しく上下させながら、危なっかしい足取りで歩を進めている。シェリスは足音を立てずにスイの横に駆け寄ってなるべく耳元に近づくように顔を寄せ、小声で囁いた。
「スイ様?」
 左手で右胸を押さえている。呼吸は荒く、苦しそうだ。
「お部屋まで肩をお貸しします」
「ありがとう」
 消え入りそうな声で礼を言って、左手をシェリスの肩に伸ばす。シェリスはスイを脇から抱えた。部屋まではもうそんなに距離はなかった。ドアを開けると、シェリスはスイをベッドまで運んだ。
 スイはそのまま目を閉じた。呼吸は少し落ち着いたようだったが、名前を呼んでも反応がなかった。

 かすかに音がしてシェリスは目を覚ました。
「スイ様?」
「シェリス……」
 うっすらと目を開けたスイは、か細い声で答えて手を伸ばした。シェリスはその手をつかんだ。まだ力がなかった。
「もう……朝か?」
 シェリスは時計を見た。
「五時前でございます」
 夏だったので、日はもう昇っていた。
「シェリス」
「はい」
 シェリスはじっとスイを見つめて次の言葉を待った。できることがあるならば、力になりたかった。昨夜もそう思って椅子を借りてスイの横で仮眠を取った。目が覚めたらすぐに気づけるように。しかし、スイの要望はシェリスが考えていたような類いのものではなかった。
「昨夜のことは誰にも話さないで欲しい」

次回更新予定日:2019/01/26

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「突然申し訳ございません。近くを通ったので、久しぶりに話がしたくなって寄ってみたんです」
 ソファに座らせてもらって落ち着いて、先ほど言おうとしていたことをようやく言えた。
「さようでございましたか」
 シェリスはにこやかに頷いたが、急にその表情に陰りが見えた。
「実は」
 キリトはシェリスの方を見た。とても不安そうな目をしていたに違いない。だが、他の表情を浮かべることはできなかった。

 その前日、スイが帰ってきたのは、夕食の少し前だった。長旅のせいか疲れている様子だった。セイラムは仕事で二日前から家を空けていた。
「おかえりなさい、スイ」
 荷物を部屋に置いてすぐに帰りを知らせようとクレアの部屋に向かったが、途中の階段付近で逆に出迎えられた。シェリスから到着したことを聞いて来てくれたのだろう。後からシェリスも追いついた。
「もうすぐ夕食のお時間ですが……」
 シェリスがスイの顔をちらっと見ると、クレアはすぐに察してスイに訊いた。
「さすがに少し疲れているみたいね。ひと休みしてからにする?」
「いえ。いつもどおりで構いません」
 スイは完璧な笑顔を作ってみせた。
「疲れて見えますか? 家に帰ってほっとしてしまって。久しぶりなのですから、もっとしゃんとしなくてはいけませんね」
「いいのよ。帰ってきたときくらい」
 クレアもスイの笑顔を見て笑った。

「夕食を食べ終わってからもしばらくマーラルのことなどお二人でお茶を飲みながら雑談をされていました」
 シェリスは続けた。
「奥様の方がそろそろ部屋に戻らないかと言って席を立たれました。お帰りになったばかりのスイ様に早く休んでいただきたかったのでしょう。スイ様はお茶をもう一杯楽しんでからにするとおっしゃったので、奥様は先に退室されました。ところが、奥様が退室されると、すぐに顔色がみるみる悪くなられまして」

「スイ様も今日は早めにお休みになられた方がよろしいのではないですか?」
 まだカップに茶が残っていたが、心配になったシェリスは声をかけずにはいられなかった。
「そうだな。そうしよう」
 スイは穏やかな微笑みを浮かべたが、顔色までは変えられなかった。
 残りの茶を五分ほどたっぷりと時間を使って飲んで、スイは退室した。

次回更新予定日:2019/01/19

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「俺、フローラに行って政権が代わったあと、国がどうなっているのか見てみたいんだ。お前は?」
 夏休み前、寮で同じ部屋だった二人は、消灯してベッドにもぐったあとも雑談をしていた。キリトが問うと、スイは答えた。
「私はマーラルに行く」
「マーラル? お前、なかなかチャレンジャーだな」
 マーラルは当時からヌビスという王が治めていたが、その前王辺りから独裁色が強くなり、公開できない情報が増えたため、研修は全て城の敷地内で行われるようになっていた。常に監視がつき、研修生は許可を得た場所以外を回ることは不可能だった。ちょっとでも監視の目に不審に映るような真似をすれば、どうなるか分からない。
「このような機会にでもないと行けないだろう」
「ま、確かにそれはそうだな」
 交換研修なら各国との合意で行われている制度なので、入国の許可が得られる上、行動の自由はなくても、個人で入国するよりもずっと身の安全は保障される。合意している以上、本人に過失がない限り、研修生は無事に帰さないわけにはいかない。
「気をつけて行ってこいよ」
「ああ。お前もな」
 いつもの笑顔で別れる。一人になってキリトは急に不安になる。なぜだか分からないのだが、もやもやする。
 明日から夏休み。キリトは二日後にフローラに出発することになっていた。そして、スイはその一週間後。ちょうどキリトと入れ違いになるようにリザレスを離れることになっていた。
 果たしてキリトの不安は的中する。

 何だろう。この不安は。
 スイは昨日の夕方頃帰ってきているはず。なぜだか嫌な予感ばかりがして、いても立ってもいられなくなった。
 そんなに気になるなら顔を見に行けばいいじゃないか。
 キリトは時計を見た。午前十時。もう訪ねていっても迷惑な時間ではない。
「キリト・クラウスと申します」
 スイに会いたいと続ける前に扉が開いた。
「キリト様。スイ様のご学友でいらっしゃいますね」
 白髪の男性が迎えてくれる。
「カーマイン家の執事をしておりますシェリスと申します。こちらへどうぞ」
 案内されるまま、玄関のすぐ左手の部屋に入った。あまり広い部屋ではない。ソファとテーブルと本棚。おそらく応接室だろう。

次回更新予定日:2019/01/12

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