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「気がつきましたか?」
自室のベッドだった。横に心配そうな表情でスイを見ているエルリックがいた。
「先生が」
そのとき、ずきっと右胸に激しい痛みが走ってスイは顔をしかめた。
「大丈夫ですか、スイ」
痛みは一瞬で退いた。しばらく胸を手で押さえたまま待ったが、再発はしなかった。
「はい。大丈夫、みたいです」
スイは真っ直ぐエルリックを見た。
「先生が、連れてきてくださったのですか?」
エルリックはうなずいた。
「完全に気を失っていましたから。少し眠るといいですよ。昨日よりも時間がありますから」
エルリックは苦笑した。昨日一本しか刻まれていなかった傷痕が七本に増えて呪術が完成した。そのせいで苦痛が桁外れに増し、意識を維持できる時間が短くなった。昨日はこの時間はまだヌビスの実験室にいた。皮肉なことだが、苦痛が大きくなったせいで解放されるのが早くなったわけだ。
「先生は、ずっと起きていらしたのですか?」
言葉を発するたびにちくちく胸に痛みを感じたが、先ほどまでの苦痛のことを考えると、我慢するのは容易だった。それにしゃべらなくても呪術を刻み込まれた胸の辺りがずっしりと重いのは変わりない。
「いえ」
エルリックは少し笑って答えた。
「あなたを迎えに行くまでは寝ていましたし、あなたの目が覚めるまでベッドの端をお借りして突っ伏して寝ていましたよ」
「私の隣でよければ、先生も少し横になってください」
広めのベッドだったので、大丈夫だろうと思い、スイは重い体を引きずってできるだけ左側によけた。
「優しいのですね、スイは」
あんな時間に呼び出されてエルリックも疲れていたのだろう。ベッドに潜ると、すぐに寝息を立て始めた。スイもいつの間にか眠っていた。
一限目の講義が終わると、昨日と同じように他の研修生が声をかけてきた。昨日は何事もなかったかのように楽しく談笑して次の講義までの十五分の休憩時間を過ごした。
「すまない。忘れ物したみたいで。ちょっと取りに行ってくる」
「ああ。じゃあまた後で」
次回更新予定日:2019/06/08
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自室のベッドだった。横に心配そうな表情でスイを見ているエルリックがいた。
「先生が」
そのとき、ずきっと右胸に激しい痛みが走ってスイは顔をしかめた。
「大丈夫ですか、スイ」
痛みは一瞬で退いた。しばらく胸を手で押さえたまま待ったが、再発はしなかった。
「はい。大丈夫、みたいです」
スイは真っ直ぐエルリックを見た。
「先生が、連れてきてくださったのですか?」
エルリックはうなずいた。
「完全に気を失っていましたから。少し眠るといいですよ。昨日よりも時間がありますから」
エルリックは苦笑した。昨日一本しか刻まれていなかった傷痕が七本に増えて呪術が完成した。そのせいで苦痛が桁外れに増し、意識を維持できる時間が短くなった。昨日はこの時間はまだヌビスの実験室にいた。皮肉なことだが、苦痛が大きくなったせいで解放されるのが早くなったわけだ。
「先生は、ずっと起きていらしたのですか?」
言葉を発するたびにちくちく胸に痛みを感じたが、先ほどまでの苦痛のことを考えると、我慢するのは容易だった。それにしゃべらなくても呪術を刻み込まれた胸の辺りがずっしりと重いのは変わりない。
「いえ」
エルリックは少し笑って答えた。
「あなたを迎えに行くまでは寝ていましたし、あなたの目が覚めるまでベッドの端をお借りして突っ伏して寝ていましたよ」
「私の隣でよければ、先生も少し横になってください」
広めのベッドだったので、大丈夫だろうと思い、スイは重い体を引きずってできるだけ左側によけた。
「優しいのですね、スイは」
あんな時間に呼び出されてエルリックも疲れていたのだろう。ベッドに潜ると、すぐに寝息を立て始めた。スイもいつの間にか眠っていた。
一限目の講義が終わると、昨日と同じように他の研修生が声をかけてきた。昨日は何事もなかったかのように楽しく談笑して次の講義までの十五分の休憩時間を過ごした。
「すまない。忘れ物したみたいで。ちょっと取りに行ってくる」
「ああ。じゃあまた後で」
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「とても美しい動きだった」
「お褒めにあずかり光栄です」
息を整えながらうっすらと目を開けて返す。
「痛みは、残っていたはずなのにな」
すっと長い指でヌビスが傷痕をなぞる。刺すような痛みを感じて呻き声を上げようとすると、すぐに違う場所にはっきりした痛みが来て呻きが叫び声に変わった。
「驚いたな。そんなに大きな声が出るのか」
大声で叫ぶと、それだけで苦しくなる。だから、なるべく押さえるように制御装置が働いていた。その制御装置さえ壊された。
見るのは怖かったが、事実を確認しないわけにはいかなかった。離れそうになる意識をたぐり寄せ、目を開こうとすると、また別の場所に今度はゆっくりと痛みが走る。昨日と同じように歯を食い縛って耐えようとしたが、力が入らず、結局与えられた苦痛をそのまま受け入れるしかなかった。何とか目を半分まで開くと、ピントが合わない視界に、残酷な笑みを浮かべるヌビスと昨日の短剣が映った。短剣が振り下ろされ、そのまま立て続けに胸にさらに四本の線が描かれた。
合計七本。七本の赤い線がスイの胸で交差していた。無造作に描かれたように見える線だが、これは特定の呪術を効果的に発動させるためにヌビスが何人もの人に試してたどり着いた図形である。
「これで完成だ」
ヌビスは最も多くの線が交差している場所に触れ、魔力を注いだ。一瞬で水脈のように青白い光が傷口に広がる。じんわりと痛みも広がる。昨日と同じ感覚の痛みだ。ただ痛いだけではなく、全てを奪われてしまいそうな感覚。心まで粉々に砕けて砂のようにこぼれ落ちていくような感覚。痛みは持続したまま徐々に強くなっていく。叫ぶことさえできなくて呻き声を発しながらもがく。
痛みが波打つように襲ってくるような感覚に囚われる。痛みで遠のいていきそうになる意識を痛みが引き戻しているようだ。ヌビスはその表情を興味深そうに観察していたが、やがて口を開いた。
「まだ意識があるようだな」
はっきりと痛みが強くなったことを感じ取り、叫び声を上げた。その強度のままスイは痛みと闘い始めた。もう何が何だかよく分からなくなり始めていた。
ヌビスの冷笑がはっきりと映って歪み出す。苦しい。息もできないくらい胸が締めつけられている。喉がからからだ。
声が出なくなって喉まで締めつけられる。目の前が真っ暗になり、ようやく激しく乱れてはいたが、呼吸ができるようになる。
「スイ」
優しい声がする。少し息が整ってきて目を開けて初めて夢にうなされていたことに気づく。頭が異様に重い。あの後、気を失って、その後もおそらく何度も呪いに苦しめられる悪夢にうなされながら眠っていたのだろう。
次回更新予定日:2019/06/01
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「お褒めにあずかり光栄です」
息を整えながらうっすらと目を開けて返す。
「痛みは、残っていたはずなのにな」
すっと長い指でヌビスが傷痕をなぞる。刺すような痛みを感じて呻き声を上げようとすると、すぐに違う場所にはっきりした痛みが来て呻きが叫び声に変わった。
「驚いたな。そんなに大きな声が出るのか」
大声で叫ぶと、それだけで苦しくなる。だから、なるべく押さえるように制御装置が働いていた。その制御装置さえ壊された。
見るのは怖かったが、事実を確認しないわけにはいかなかった。離れそうになる意識をたぐり寄せ、目を開こうとすると、また別の場所に今度はゆっくりと痛みが走る。昨日と同じように歯を食い縛って耐えようとしたが、力が入らず、結局与えられた苦痛をそのまま受け入れるしかなかった。何とか目を半分まで開くと、ピントが合わない視界に、残酷な笑みを浮かべるヌビスと昨日の短剣が映った。短剣が振り下ろされ、そのまま立て続けに胸にさらに四本の線が描かれた。
合計七本。七本の赤い線がスイの胸で交差していた。無造作に描かれたように見える線だが、これは特定の呪術を効果的に発動させるためにヌビスが何人もの人に試してたどり着いた図形である。
「これで完成だ」
ヌビスは最も多くの線が交差している場所に触れ、魔力を注いだ。一瞬で水脈のように青白い光が傷口に広がる。じんわりと痛みも広がる。昨日と同じ感覚の痛みだ。ただ痛いだけではなく、全てを奪われてしまいそうな感覚。心まで粉々に砕けて砂のようにこぼれ落ちていくような感覚。痛みは持続したまま徐々に強くなっていく。叫ぶことさえできなくて呻き声を発しながらもがく。
痛みが波打つように襲ってくるような感覚に囚われる。痛みで遠のいていきそうになる意識を痛みが引き戻しているようだ。ヌビスはその表情を興味深そうに観察していたが、やがて口を開いた。
「まだ意識があるようだな」
はっきりと痛みが強くなったことを感じ取り、叫び声を上げた。その強度のままスイは痛みと闘い始めた。もう何が何だかよく分からなくなり始めていた。
ヌビスの冷笑がはっきりと映って歪み出す。苦しい。息もできないくらい胸が締めつけられている。喉がからからだ。
声が出なくなって喉まで締めつけられる。目の前が真っ暗になり、ようやく激しく乱れてはいたが、呼吸ができるようになる。
「スイ」
優しい声がする。少し息が整ってきて目を開けて初めて夢にうなされていたことに気づく。頭が異様に重い。あの後、気を失って、その後もおそらく何度も呪いに苦しめられる悪夢にうなされながら眠っていたのだろう。
次回更新予定日:2019/06/01
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エルリックは心配になってスイの様子を見に行くことにした。時間割をチェックすると、中庭で剣術の講義中だった。相当体力を消耗しているはずなので、実技も行う剣術の講義はきついかもしれない。
簡単の声が聞こえた。中庭の隅まで走っていくと、ちょうどスイが剣術の講師レイと剣を交えていた。レイはマーラル文化の講義の一環として伝統的なマーラル式剣術の講義と実技を担当している。当然言わずと知れた剣術の名手だ。そのレイにスイは後れを取っていない。しかも舞うように美しい動き。他の研修生たちも見取れている。
「初めてとは思えないくらい見事な動きだな。どこかで教わったか?」
休まず剣を裁きながら、レイが訊いた。確かにレイの言うとおり初心者の動きとは思えない。いや、むしろ上級者と言っても良い。マーラル式剣術には他の地域の剣術にはない特徴的な動きや型もあるのだが、それさえもほぼ忠実に再現できている。少し講義を聞いて手本を見ていくらか練習しただろうが、それでも急にこれほどうまくはできるわけがない。
「いえ。ですが、剣術は幼い頃から習っていて得意です」
軽く息を切らしながら、スイも一撃跳ね返す。
一度見て少し練習しただけで体得できる。だとしたら、スイは相当剣術の才能に恵まれているのだろう。
エルリックはそう考えたが、実際は違った。スイはセイラムからどのような型の剣術で襲われても対処できるようにありとあらゆる剣術の型を叩き込まれた。いつも使っている型に比べれば触れる程度の知識しかないが、それでも皆無ではない。ただ、父から教わったと口にして、いらない詮索を受けるのは避けたかった。
ふとエルリックは気配を感じて正面の二階の窓を見た。ヌビスが立ち止まって二人の手合わせを見下ろしている。一見穏やかそうなその表情は、温かく研修生たちを見守る眼差しのように見えるが、事情を知っているエルリックには不気味にしか見えなかった。明晰な頭脳、冷静な判断力、それに加えてこの剣の腕である。マーラルにとって危険極まりない人物。呪術のかけがいのある人物だ。それがヌビスの残虐な部分を満足させる。
エルリックは怖くなってその場を離れた。あれだけ動けていれば、まだ大丈夫だろう。本当に怖いのはこれからだが。
昨夜と同じようにベッドに座ってスイはヌビスを待った。ほどなくヌビスは姿を現し、昨夜と同じように上半身をはだけさせ、スイをベッドに横たわらせた。傷痕も消え、すっかりきれいになっていた胸に手を当てると、昨日の傷痕が昨日と同じように青白く光った。強い痛みを感じてスイは顔を歪める。
「いい顔だ」
満足げに微笑んでヌビスは続けた。
「剣術の講義、見せてもらったよ」
スイはまだ息を切らしている。
次回更新予定日:2019/05/25
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簡単の声が聞こえた。中庭の隅まで走っていくと、ちょうどスイが剣術の講師レイと剣を交えていた。レイはマーラル文化の講義の一環として伝統的なマーラル式剣術の講義と実技を担当している。当然言わずと知れた剣術の名手だ。そのレイにスイは後れを取っていない。しかも舞うように美しい動き。他の研修生たちも見取れている。
「初めてとは思えないくらい見事な動きだな。どこかで教わったか?」
休まず剣を裁きながら、レイが訊いた。確かにレイの言うとおり初心者の動きとは思えない。いや、むしろ上級者と言っても良い。マーラル式剣術には他の地域の剣術にはない特徴的な動きや型もあるのだが、それさえもほぼ忠実に再現できている。少し講義を聞いて手本を見ていくらか練習しただろうが、それでも急にこれほどうまくはできるわけがない。
「いえ。ですが、剣術は幼い頃から習っていて得意です」
軽く息を切らしながら、スイも一撃跳ね返す。
一度見て少し練習しただけで体得できる。だとしたら、スイは相当剣術の才能に恵まれているのだろう。
エルリックはそう考えたが、実際は違った。スイはセイラムからどのような型の剣術で襲われても対処できるようにありとあらゆる剣術の型を叩き込まれた。いつも使っている型に比べれば触れる程度の知識しかないが、それでも皆無ではない。ただ、父から教わったと口にして、いらない詮索を受けるのは避けたかった。
ふとエルリックは気配を感じて正面の二階の窓を見た。ヌビスが立ち止まって二人の手合わせを見下ろしている。一見穏やかそうなその表情は、温かく研修生たちを見守る眼差しのように見えるが、事情を知っているエルリックには不気味にしか見えなかった。明晰な頭脳、冷静な判断力、それに加えてこの剣の腕である。マーラルにとって危険極まりない人物。呪術のかけがいのある人物だ。それがヌビスの残虐な部分を満足させる。
エルリックは怖くなってその場を離れた。あれだけ動けていれば、まだ大丈夫だろう。本当に怖いのはこれからだが。
昨夜と同じようにベッドに座ってスイはヌビスを待った。ほどなくヌビスは姿を現し、昨夜と同じように上半身をはだけさせ、スイをベッドに横たわらせた。傷痕も消え、すっかりきれいになっていた胸に手を当てると、昨日の傷痕が昨日と同じように青白く光った。強い痛みを感じてスイは顔を歪める。
「いい顔だ」
満足げに微笑んでヌビスは続けた。
「剣術の講義、見せてもらったよ」
スイはまだ息を切らしている。
次回更新予定日:2019/05/25
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不意を衝かれる形で剣先がスイの右胸に食い込んだ。スイは顔をしかめ、小さな呻き声を上げた。剣先がゆっくりとそのまま左に移動して胸に一筋赤い直線を描いていく。スイは声を上げるとその声で痛みが増しそうな気がして、歯を食い縛って息を殺すようにしていたが、苦しくなって息を大きく吐き出した。その瞬間、我慢していた痛みが来て息を詰まらせる。傷口から血がじわりと滲んだ。
「いい顔だ。美しかった顔がこんなにも歪んで」
ヌビスが手をかざすと、赤く染まっていた傷口が短剣と同じように青白く光った。短剣で切り裂かれたときよりも重い痛みがのしかかる。これが呪術か。だが、思ったほどの痛みではなく、歯を食い縛って耐えた。
「あまり効いていないようだな」
もっと苦しくなるはずなのだが。ヌビスはスイを観察したが、魔力を軽減するような魔法を使ったりしている様子はない。
「もともと耐性が備わっているのか?」
セイラムもそう言っていた。そして、魔力耐性をさらに伸ばすために、小さい頃から訓練されてきた。
「面白い。実に面白い」
満足げに笑って魔力を強める。傷痕から発せられた光がより鮮明になる。
痛いだけではなかった。何か全てを奪われてしまうような、そんな感覚に襲われた。苦しかった。心も体も蝕まれているような気がした。スイは耐えきれず、大きな声を上げた。
「久しぶりにこんなに魔力を解放した。いいものだな、全力で行くというのは。実にすがすがしい気分だ」
そのまま胸を締めつけるような痛みと心を蝕まれるような恐怖が続いた。呪術の効果は弱まる気配はなかった。
何時間経っただろう。消耗して意識が朦朧とするが、しばらくすると意識が回復してまた苦痛を感じるようになる。また消耗して意識が朦朧として、だが回復して、その繰り返しだった。
ドアの音がしたのをスイはぼんやりと感じた。
「そろそろ夜が明けます」
「そうか。残念だが、今日はここまでとしよう」
顎をつかまれ、無理やり顔をヌビスの方に向けさせられる。スイはうっすらと目を開けた。
「今夜また来い」
首を横にも縦にも振ることができなかったが、ヌビスは最初から答えを聞くつもりはなかったようで、すぐにスイを解放し、自室に戻ってしまった。
「お部屋に戻りますよ」
やはりエルリックだった。ぐったりとなったスイに魔術師が治癒を施す。もう光を失い、痛々しい傷になっていた場所を魔術師はきれいに塞いだ。痛みは消えなかった。短剣で斬られた物理的な痛みだけではないようだった。呪術の力がまだ残っているようだ。
「立てますか?」
疲労で力が入りにくかったが、上体を起こしてもらって何秒か放置してもらうと、感覚が戻ってきて肩をちょっと貸してもらうだけで歩けた。
「まだ少し時間があります。時間になったら起こしに来るので、休んでください」
「ありがとう……ございます」
ようやく自分のベッドに寝かしてもらったスイは、安心したように目を閉じた。そして、それまでの分を取り返すかのように一気に眠りに落ちた。
次回更新予定日:2019/05/18
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「いい顔だ。美しかった顔がこんなにも歪んで」
ヌビスが手をかざすと、赤く染まっていた傷口が短剣と同じように青白く光った。短剣で切り裂かれたときよりも重い痛みがのしかかる。これが呪術か。だが、思ったほどの痛みではなく、歯を食い縛って耐えた。
「あまり効いていないようだな」
もっと苦しくなるはずなのだが。ヌビスはスイを観察したが、魔力を軽減するような魔法を使ったりしている様子はない。
「もともと耐性が備わっているのか?」
セイラムもそう言っていた。そして、魔力耐性をさらに伸ばすために、小さい頃から訓練されてきた。
「面白い。実に面白い」
満足げに笑って魔力を強める。傷痕から発せられた光がより鮮明になる。
痛いだけではなかった。何か全てを奪われてしまうような、そんな感覚に襲われた。苦しかった。心も体も蝕まれているような気がした。スイは耐えきれず、大きな声を上げた。
「久しぶりにこんなに魔力を解放した。いいものだな、全力で行くというのは。実にすがすがしい気分だ」
そのまま胸を締めつけるような痛みと心を蝕まれるような恐怖が続いた。呪術の効果は弱まる気配はなかった。
何時間経っただろう。消耗して意識が朦朧とするが、しばらくすると意識が回復してまた苦痛を感じるようになる。また消耗して意識が朦朧として、だが回復して、その繰り返しだった。
ドアの音がしたのをスイはぼんやりと感じた。
「そろそろ夜が明けます」
「そうか。残念だが、今日はここまでとしよう」
顎をつかまれ、無理やり顔をヌビスの方に向けさせられる。スイはうっすらと目を開けた。
「今夜また来い」
首を横にも縦にも振ることができなかったが、ヌビスは最初から答えを聞くつもりはなかったようで、すぐにスイを解放し、自室に戻ってしまった。
「お部屋に戻りますよ」
やはりエルリックだった。ぐったりとなったスイに魔術師が治癒を施す。もう光を失い、痛々しい傷になっていた場所を魔術師はきれいに塞いだ。痛みは消えなかった。短剣で斬られた物理的な痛みだけではないようだった。呪術の力がまだ残っているようだ。
「立てますか?」
疲労で力が入りにくかったが、上体を起こしてもらって何秒か放置してもらうと、感覚が戻ってきて肩をちょっと貸してもらうだけで歩けた。
「まだ少し時間があります。時間になったら起こしに来るので、休んでください」
「ありがとう……ございます」
ようやく自分のベッドに寝かしてもらったスイは、安心したように目を閉じた。そして、それまでの分を取り返すかのように一気に眠りに落ちた。
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「美しい顔だな。それに色気もある。お前いくつだ?」
「十五です」
顔を直視できなくて目を背けたまま答える。
「十五とは思えない色気だ。成長した姿が見られないのが実に残念だ。それに」
ヌビスはスイの顎をつかみ、憎々しげに力を込めた。
「十五とは思えない落ち着きようだ」
気に入らない。なぜだか分からないが、無性に腹が立つ。この実験室に連れてこられてこんなに穏やかな表情をした者はこれまでいなかった。なぜもっと怯えた目をしない。
乱暴に手を外し、ヌビスは部屋の端にある背の低い棚の方に歩いていった。引き出しから銀色に輝く短剣を取り出す。つかつかとわざとゆっくりと足音を響かせながら、ベッドの方に近づく。この部屋は隣の部屋と違い、絨毯が敷かれていない。冷たい石材を靴のかかとで叩く音が残酷に木霊する。
努めて動揺を隠すようにしたのが気に障ったのだろうか。スイは考えた。だが、ここは譲れない。一瞬でも気を抜けば、動揺に飲み込まれてしまいそうで怖かった。
「待たせたな」
低い声に反応するようにベッドの横に立ったヌビスを見る。手にきらりと光る短剣が握られている。刃の形状が武器として使う短剣とは違うような気がした。そんなふうに冷静に分析していたのが良くなかったらしい。強い魔力を感じてスイははっとする。
「ほう。魔力は感じるか」
短剣が青白い光を帯びていた。何が起こるのか分からなくてスイはじっとそれを見つめていた。ヌビスの口元に残忍な笑いがたたえられた。左手でスイの右手首を押さえつける。ゆっくりと短剣がスイの胸に下りてくる。
斬られる。
動かないようにはしたが、さすがにそれ以上見ていることはできなくて目をぎゅっとつぶった。胸に刃先が触れる瞬間を見るのも怖かったが、それ以上にヌビスの狂気に満ちた顔を見るのが怖かった。
しかし、何秒経っても痛みは来なかった。どうしても気になってうっすらと目を開ける。剣先はまだあと三センチくらいのところでスイの胸を真っ直ぐ睨んでいた。スイは目を見開いた。すると、ヌビスが勝ち誇ったように笑った。
「怖いか。どうだ、怖いか」
負けた。圧倒的にやられたと思った。この人の狂気を見てしまった。スイはある程度他者の行動を予測し、対処するのは苦手ではなかった。そうするように訓練されてきた。何パターンかの行動の可能性があっても、その可能性を予測し、対処すれば良い。だが、狂気に駆られた人はそうはいかなかった。思考回路が全く読めないのだ。対処できるという確信が持てないことがスイを不安に陥れる。
次回更新予定日:2019/05/11
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「十五です」
顔を直視できなくて目を背けたまま答える。
「十五とは思えない色気だ。成長した姿が見られないのが実に残念だ。それに」
ヌビスはスイの顎をつかみ、憎々しげに力を込めた。
「十五とは思えない落ち着きようだ」
気に入らない。なぜだか分からないが、無性に腹が立つ。この実験室に連れてこられてこんなに穏やかな表情をした者はこれまでいなかった。なぜもっと怯えた目をしない。
乱暴に手を外し、ヌビスは部屋の端にある背の低い棚の方に歩いていった。引き出しから銀色に輝く短剣を取り出す。つかつかとわざとゆっくりと足音を響かせながら、ベッドの方に近づく。この部屋は隣の部屋と違い、絨毯が敷かれていない。冷たい石材を靴のかかとで叩く音が残酷に木霊する。
努めて動揺を隠すようにしたのが気に障ったのだろうか。スイは考えた。だが、ここは譲れない。一瞬でも気を抜けば、動揺に飲み込まれてしまいそうで怖かった。
「待たせたな」
低い声に反応するようにベッドの横に立ったヌビスを見る。手にきらりと光る短剣が握られている。刃の形状が武器として使う短剣とは違うような気がした。そんなふうに冷静に分析していたのが良くなかったらしい。強い魔力を感じてスイははっとする。
「ほう。魔力は感じるか」
短剣が青白い光を帯びていた。何が起こるのか分からなくてスイはじっとそれを見つめていた。ヌビスの口元に残忍な笑いがたたえられた。左手でスイの右手首を押さえつける。ゆっくりと短剣がスイの胸に下りてくる。
斬られる。
動かないようにはしたが、さすがにそれ以上見ていることはできなくて目をぎゅっとつぶった。胸に刃先が触れる瞬間を見るのも怖かったが、それ以上にヌビスの狂気に満ちた顔を見るのが怖かった。
しかし、何秒経っても痛みは来なかった。どうしても気になってうっすらと目を開ける。剣先はまだあと三センチくらいのところでスイの胸を真っ直ぐ睨んでいた。スイは目を見開いた。すると、ヌビスが勝ち誇ったように笑った。
「怖いか。どうだ、怖いか」
負けた。圧倒的にやられたと思った。この人の狂気を見てしまった。スイはある程度他者の行動を予測し、対処するのは苦手ではなかった。そうするように訓練されてきた。何パターンかの行動の可能性があっても、その可能性を予測し、対処すれば良い。だが、狂気に駆られた人はそうはいかなかった。思考回路が全く読めないのだ。対処できるという確信が持てないことがスイを不安に陥れる。
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